コラム 2019.10.16

連載・武藤芳照の面白ゼミナール第4回「弁慶とアキレス」

 歌舞伎十八番の一つ「勧進帳」での山伏姿の飛び六方に象徴される武蔵坊弁慶。牛若丸、後の源義経に仕えた勇壮な僧で知られる。衣川の合戦で満身に矢を受け、薙刀を杖代わりにして、立ったまま死んだ「弁慶の立往生」も有名だ。

 それほどの剛の者でも、そこを打たれると痛がって泣くとことから、向うずねは「弁慶の泣き所」と名付けられ、強者の唯一の弱点とされている。

 下腿を構成する脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)の2本の骨の内、太い脛骨が体重を支え、運動の中心となる。その前面の向こうずねは、皮膚と骨の間でクッションの役目をする皮下組織(脂肪など)がほとんどないため、外から蹴られたり、打たれたり、固い物にぶつけたりすると、豊富な神経が分布する骨膜が刺激を受けるために強い痛みが起こる。

 サッカーやフィールドホッケーの選手が厚手の長いソックスをはいたり、すね当て(シンガード)を付けたりするのは、この「弁慶の泣き所」を守るためだ。

 江戸時代の拷問の一つ「石抱き」は、この向うずねを痛めつける。算盤と称する三角の材を並べた台の上に人を正座させ、膝の上に重い石板をのせ、白状しないと段々石の数を増やして責めつけるという残酷なものだ。弁慶でも泣くのだから、想像しただけで泣き声が聞こえるようだ。

 一方、アキレス腱も、ギリシア神話の勇者アキレス(アキレウスのラテン語形)に由来して強者の「弱点」の意味を有する。アキレスは、ホメロスの叙事詩「イリアス」の主要人物で、トロイ戦争におけるギリシア軍の勇将だ。幼い頃、母神テティスに、つかるだけで不死身の体にすることができるという黄泉の川ステュクスに浸したが、彼の足首をつかんで逆さに浸したため、踵の部分だけが川の水に濡れず弱点となった。トロイ戦争に出陣したアキレスは、敵将のヘクトルを討ち、勇猛ぶりを示したが、トロイ王子パリスの放った矢が唯一の弱点である踵を射て最後を遂げたという物語だ。

 下腿三頭筋の表層の腓腹筋と深層のヒラメ筋が下方で合してアキレス腱を形成して踵骨に付着する。人体中最大の腱だ。中高年の代表的スポーツ外傷の一つとして知られ、「アキレス腱」の名は一般にも親しみやすい数少ない医学用語だろう。

 下腿の前面にある「弁慶の泣き所」と後面にある「アキレス腱」。日本とギリシアの勇者の名が付され、いずれも「弱点」であるのは興味深い。

 

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