職人のカラダ「鍋を振り続ける中華料理人」– 老舗中国料理店『ふんよう亭』主人に訊く —
中国料理シェフの体の悩みとは?
――本日はよろしくお願いします。まずは「ふんよう亭」の歴史からお伺いします。こちらのお店はいつ頃からやってらっしゃるんですか?
「私は今年で69歳で、この店の二代目です。もともとは戦後に親父とおふくろが満州から引き上げてきて、荻窪駅前で店を開いたのが始まりです。当時は荻窪駅南口のタクシー乗り場のあたりに、新宿ゴールデン街みたいな感じで、小さな食堂や飲み屋が密集していたんです。うちも最初はその一角にありました。記憶にはありませんが、私は1〜2歳くらいで、母の背中におぶられていたそうです」
――かなりの老舗なんですね。長年、厨房に立って実感する、中国料理のシェフに特有の体の動かし方や不調というのはありますか?
「中華に限らず、料理人は前傾姿勢での立ち仕事が多いので、やっぱり腰をやられる人は多いですね。私も長年、腰の痛みに悩まされてきました」
――中華というと、鉄鍋をガンガン振るイメージですが、腕や肩は大丈夫ですか?
「腕はやっぱり疲れますし、筋肉もつきますよ。左利きですが、今は右でも左でも臨機応変に鍋を振れるようにしています。しかし何と言っても、一番大切なのは腰ですね。スポーツと一緒で、体が安定しないと何もできませんから」
――なるほど。ほかに体の悩みはありますか?
「私の場合はそれに加えて、5年前、64歳のときに脳梗塞を患って、右半身が不自由になってしまって。リハビリでずいぶん良くはなったんですが、今もやや右脚を引きずっているような状態で、まっすぐ歩くのが難しい。普段の生活にはあまり支障はないんですが、仕事となると、やっぱりね。仕込みの段階から腰に負担がかかるから、そこをかばいながら同じ作業を長く続けるのは厳しいですね」
――脳梗塞とは驚きです。ある日、突然なったんですか?
「いえ、前兆はありましたね。50歳のときに調子が悪くて病院に行ったら、脳梗塞だと言われて緊急入院です。症状はほぼなかったんですが。当時は午前3時まで営業していたし、子育ても忙しくて、寝る間もなかったんで、やっぱり無理がたたったんでしょう。つまり私は2回、脳梗塞をやってるんです。だから今は、頭と体のギャップというか、思った通りに体が動かないのがストレスで。なんとか改善したいですね」
――そんな状態なのに、いつも料理の味がまったくブレないのがスゴいですよね。もともと料理がお好きだったんですか?
「私が店に入ったのは昭和46年、20歳からです。今もそうですが、昔から料理よりクルマが大好きで(笑)。内燃機関、つまりエンジンの構造部分とかキャブレターなんかにものすごく興味があって、20代になってからはカートレースのチームに誘われて、サーキットでメカニックをしたり、ドライバーとしても走っていました。だから料理人になったのは遅いんです」
――ものすごく意外な経歴ですね。レースの世界から、どうやって料理の世界に入ったのか、すごく気になります(笑)
「まぁ、若い頃はクルマに夢中で、大学も中退して毎日フラフラしていたんです(笑)。で、ある時、飲んで朝帰りしたら、仕事帰りの両親と鉢合わせて。申し訳ない気持ちになったりしたこともあって、気づくと店を手伝うように。それから50年近く、この仕事を続けています」
中国料理シェフの一日のスケジュールは?
――通常の営業時間は17時〜23時ですよね。1日のスケジュールをざっくり教えてもらえますか?
「起床は毎朝7〜8時ごろ。脳梗塞の影響で体が固まってるので、起き抜けに腰や肩甲骨、首周りのストレッチをして体をほぐします。リハビリの先生が、分厚いストレッチの冊子をくれて、そこから抜き出してやってますね。それから朝食を食べて、午前中の数時間はのんびり過ごします。若い頃は色々とスポーツをやっていたので、体力には自信があったんですが、脳梗塞になって以来、これがルーティーンですね」
――それから食材の仕入れ、開店準備という流れですか?
「はい。12〜13時の間に、野菜などの仕入れをしてから店に入り、3〜4時間かけてその日の料理の仕込みをしていきます。一番キツいのが、餃子の仕込み。腕を使って皮を練って延ばす作業は、相当疲れますね。今は20人前と決めています。それ以上作ると、もう体が使えなくなっちゃうんですね。まぁ、なんだかんだ、毎日10時間は働いていますよ」
――ご時世的に休業する店も多いなか、営業を続けてらっしゃるのが本当にスゴいです。
「やっぱり、お客さんに迷惑をかけちゃうから。一日にお客さんが一組、二組なんてザラにありますけど、人を雇っているようなお店はともかく、うちは夫婦2人だし、なんとか開けられていますね。それに、この生活のルーティーンを崩したくない、というのも大きいです。動かないと、どんどん体が固まっていきますからね」