運動器のリレーエッセイ「世界の意味を知り、世界に意味を与える運動器」内尾祐司(島根大学整形外科学教授)
運動器は身体活動としての運動を出力する役割しか持たないのでしょうか?
アニー・サリバンは、ヘレン・ケラーの片手に井戸水のポンプで汲んだ冷たい水をゆっくりとかけ、それからもう片方の手に素早く“w-a-t-e-r”と綴ります。その指の動きに全神経を傾けていたヘレンに突然、「言葉の神秘の扉」が開かれます1,2)。彼女は、“Wa-.”, “Wa-.”、と叫びながら、その水の感触を確かめるように何度も何度もポンプで水を汲むのでした1,2)。
彼女の手に当たり指間から流れ落ち、刻々と変化する水の圧や重量感、そして質感は、「水」という言葉の存在だけでなく、彼女に世界の存在と時間の認識を与えたのです。後に、彼女は「外界の情報は、目と耳だけで入手すると思い込んでいる人たちがいる。そういった人たちは、私が歩くだけで、都会の通りと田舎道の違いを区別できることに驚く。違いは、もちろん舗装の有無だけではない。彼らは、私のからだ全体が周りの状況を知覚していることを忘れているようだ。」と記しています2)。
このように、運動器を用いることによって五感では捉えきれない感覚を私たちは自分に入力でき、私たちは時空を持った世界の意味を認識することができるのです。
一方、不幸にして疾病や事故によって運動器の機能が障害された人たちがいます。しかし、残された運動器を十分に用いて個々の競技や芸術を究めようとする彼らの姿に感動しない人はいないと思います。また、何十年と運動器を用いて修練された匠の技によって作られた料理や建築だけでなく、交通機関や運送業、食品業などの日常生活を支えてくださる市井の人々の、ふと気づく丹念な仕事ぶりにも、頭が下がらない人はいないでしょう。私たちは、一所懸命に運動器を用いて世界に働きかけることによって、世界に意味を与えることができるのです。
1歳のとき熱病によって聴覚と視覚を失ったヘレン・ケラーは、6歳と10か月の「この生涯で最も大切な日」2)からまさに不撓不屈の努力を重ね、ハーバード大学ラドクリフ・カレッジを卒業した後、社会福祉の必要性を説いて世界各地を講演します。
戦後間もない1948年(昭和23年)、連合国軍最高司令官総司令部GHQマッカーサー元帥の主賓として2度目の来日をした彼女は、2か月に亘り、全国15都市25回の講演を行い、障害者施策や社会参加の必要性を説きます。そして彼女の献身的な活動ぶりは、当時救済に消極的であったGHQや国会を動かし、1949年(昭和24年)日本初の身体障害者福祉法の制定に繋がるのでした3)。
運動器によって世界の意味を知り、そして運動器によって世界に意味を与えることで、かけがえのない人生を彼女は成就できたのだと思います。「人の命は意味を持たなければならない。」4)-その意味ある人生のために、世界の意味を知り、世界に意味を与える運動器は不可欠な存在なのです。
文・内尾祐司(島根大学整形外科学教授)
参考資料・文献
1) Anne Bancroft & Patty Duke主演「The Miracle Worker 奇跡の人」ユナイテッドアーツ、1962.
2) ヘレン・ケラー著、小倉慶郎訳.奇跡の人ヘレン・ケラー自伝、新潮社、2004.
3)日本ライトハウス21世紀研究会編. わが国の障害者福祉とヘレン・ケラー、教育出版2002.
4)白鳥春彦著.カール・ヤスパース-この1冊で「哲学」が分かる-、三笠書房、1996.