特集 2023.09.01

侍ジャパン前監督・栗山英樹氏が語る「選手の力を引き出す方法」

WBCでも重視したのは“会話”

2023年WBCでの優勝会見

――今回のWBC、侍ジャパンの選手たちはみんなどこか楽しげで、チームに対して献身的な印象を受けました。何か栗山さんが選手たちに浸透させた意識はあったんですか?

「まず、他人事だと思ってほしくない、というのはありましたね。ビジネスの世界でも、雇われて働くのと、自分で会社を興して働くのって、同じ労働でも意識が違うじゃないですか。だから最初に『あなたは侍ジャパンの一員なんじゃない。あなたが侍ジャパンなんですよ』というのを徹底的に、それこそ手紙にも書いて選手たちに伝えました。他人事ではなく自分事。チームが勝つために、時には自分を捨ててでも野球をしてほしい、というメッセージでもありました」

――異なる球団から集まったメンバーで戦う短期決戦。コミュニケーションが難しかったんじゃないでしょうか?

「いやぁ、難しかったですね。日本代表は普段、一緒にやってない選手ばかりなので、コミュニケーションに関しては細心の注意を払いました。選手をよく見て会話してみて、『あ、こういう反応ならもっと突っ込んで話していいのかな?』と思ったり。そうして徐々に探っていく感じでしたね。

例えば打撃不振にあえいでいた4番の村上宗隆の場合は、WBC直前の最後の強化試合(オリックス戦)で打順を6番に下げました。意図としては、怒らせたかったんです。『俺はこんなもんじゃねぇ!』と、がむしゃらになってほしくてね。

普段のチームなら何も言わずに黙って打順を下げるところですが、短期決戦ではどっちに転ぶかわからないので、本人を呼んできちんと理由を説明しました。で、『明後日の本番からは4番を任せる。その代わり今日、6番で自分の体と打撃の状況を冷静に分析してくれ』と伝えたうえで試合に送り出しました。準決勝・決勝と、最後は打ってくれて本当に嬉しかったです」

―― “自分事”としての意識が共有されていたからか、試合に出ていない選手たちの表情もどこか生き生きしているように見えました。

「例えば、WBC準決勝のメキシコ戦。9回裏に村上が左中間へのフェンス直撃の逆転サヨナラ打を放ちましたが、最後にホームに滑り込んだのは、一塁にいた代走の周東佑京でした。

周東はそれまで一切試合には出ていなかったけど、村上のバッティング練習をずっと見ていて、左中間方向への打球は伸びると知っていたそうなんです。だから村上が最後に放った打球を見て、『これは抜けてヒットになる』と確信できていたからこそ、迷いのない全力疾走でホームインできたわけです。

つまり、すべての選手たちが、自分の出る場面を想定した準備を100%してくれていた、ということです。これがまさに“自分事”なんですよね」

――栗山さんは日本代表の監督を辞めると宣言されましたが、これからの夢や、やりたいことがあれば教えてもらえますか?

「恥ずかしいですね(笑)。でもやりたいことはたくさんありますよ。例えば小説も書いてみたいし、野球チームを作りたいという夢もあります。そしてもう一つは、やっぱり野球界への恩返しですね。野球人口が減少していく中で、プロ野球の世界にいた僕らが、野球というスポーツをこれからどう盛り上げていけるか。そこは使命だと思って今後も取り組んでいきたいと思います」

取材・文 田代智久
写真・ミヤジシンゴ

■プロフィール
栗山英樹(くりやま・ひでき)さん
1961年4月26日東京生まれ。東京学芸大を経て、1984年ドラフト外でヤクルトに入団。3年目からレギュラーとなり、1989年にはゴールデングラブ賞のタイトルを受賞。90年に現役引退後は野球解説者として活躍。2012年より北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、1年目から優勝、2016年には日本一に導いた。2022年からは侍ジャパンの監督に就任。2023年のWBCで14年ぶりの優勝を果たした。

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