作曲家・都倉俊一氏に訊く日本の「舞台芸術」の問題点とは?
文化庁長官として向き合ったコロナ禍
丸毛:ところで、ここ数年のコロナ禍では、さまざまな芸術活動が自粛や延期に追い込まれました。これまでミュージカルなど、多数のライブエンターテインメントを手掛け、文化庁長官も務めておられる都倉さんにとっても、相当に大変な時期だったのでは?
都倉:おっしゃるとおりです。文化芸術の危機というのは、すなわち才能のある芸術家が食べられなくなり、活動をやめてしまうことなんですね。これに対し、国は2021年の会計年度で、補助金も含めて、2,800億円を拠出しました。文化庁の予算は年間1,100億円前後なので、これは大した額と言えます。
とはいえ、芸術家は花と同じように、肥料(お金)だけでは育ちません。花に水や太陽が欠かせないように、アーティストには“自分の表現の場”が必要なんです。ところが最初は都も国も「人が集まるところはすべて閉鎖しろ」の一点張りで、あらゆる施設をクローズさせました。
丸毛:たしか都倉さんは2021年に「文化芸術活動は、断じて不要でもなければ不急でもありません」という内容を盛り込んだ宣言を出されていますね。
都倉:ええ。人が密集する狭小施設はまだわかりますが、美術館や博物館、静かに音楽を楽しむ劇場など、人数制限をかけてリスクを最大限に抑えて営業していた広い文化施設までなぜ一様に閉鎖なのか。それを僕はずっとおかしいと訴えていたんですが、最初の半年くらいはまったく聞く耳を持ってもらえませんでした。それで2年前に先ほどの宣言を出して、そこから徐々に緩和されていったわけですが……。いま振り返ると、隔世の感がありますね。
日本の舞台芸術の問題点とは?
丸毛:いま、整形外科医が中心となって、例えばバレエの公演などの舞台でのパフォーマーへの医学的サポートを目的とした「舞台医学」の普及・推進の活動を行っています。英語では“パフォーミング・アーツ・メディスン”と言われますが、実は舞台芸術の現場で起きる事故や怪我はみなさんが想像する以上に多いんです。都倉さんは欧米で活動された時期も長いわけですが、日本の舞台芸術、引いてはライブ・エンターテインメントの問題点というのは何かありますか?
都倉:これは医療だけに限らず、業界全体に関わる話なんですが、まず前提として、日本では芸術家が「個人」としてしか活動できていないことがほとんどです。これは大きな問題だと思っています。
僕は80年代後半から10年くらい、ロンドンで作曲やプロデュースの仕事をしていたんですが、向こうではユニオン(労働組合)の力がものすごく強いんですね。だからパフォーマーたちに仕事を頼むには、毎回ものすごくぶ厚い契約書を交わす必要があり、プロデューサーの立場からすれば非常に面倒でした。
しかし逆にパフォーマーたちにとっては、その契約書が自分の権利や立場をしっかり保障してくれる盾になっているわけです。何しろ契約書には、ランチで提供すべきメニューから医学的サポートまで、芸術家の生活を守るために必要な、ありとあらゆることが当然の義務として盛り込まれていますから。
丸毛:ハリウッド映画などでは、俳優さんがエージェントを雇って契約や交渉などすべてを任せると聞いたことがあります。日本はどんな状況なんでしょう?
都倉:残念ながら、日本にはそういうシステムが一切ありません。なので舞台にしろ映画にしろテレビにしろ、プロデュースする側が俳優やパフォーマーを「雇ってやる」という意識が非常に強い。つまり、役者たちは “使われる”立場になりやすく、結果的に何かと不益な立場に立たされるパターンが多いわけです。
例えば、1973年に役者の八代英太さんが、ある歌謡ショーに出演中、主催者側の不備で開いていた5メートルもある舞台の奈落に落下するという事故がありました。
丸毛:確か八代さんが後ずさりした際に落ちて骨髄を損傷されたんですよね。下半身不随で、いまも車椅子生活を余儀なくされておられるとか。
都倉:ええ。ところが、主催者側は一切非を認めなかったんです。結果、八代さんは主催者を相手取って裁判を起こし、なんと15年に渡って争われました。自分は悪くないのに大怪我をさせられ、それに対する補償もなく、裁判では時に被告側から責められたりする。こんなに辛いことがあるでしょうか。
そもそも日本には、こういう問題をきっちり裁断する法律がないんです。そこで昨年、文化庁で初めて文化芸術活動における労働契約についてのガイドラインをまとめました。これから法律的な背景もしっかり定め、ルール化していけたらと考えています。
丸毛:まさに八代さんの事故のような、舞台とその周辺で起きる怪我や事故への医学的なサポートができないか――というのが、いま我々が取り組んでいる「舞台医学」です。どんなに気をつけていても、舞台上では怪我や事故が起き得ます。都倉さんがおっしゃる法的なシステムづくりと並行して、医学的サポートを充実させることで、パフォーマーの皆さんが、より安心して演じることができる環境が整うと思います。本日はありがとうございました。
■プロフィール
都倉俊一さん
作曲家・編曲家・プロデューサー。学習院大学法学部卒。4歳よりバイオリンを始め、小学生時代と高校時代をドイツで過ごし、基本的な音楽教育を受ける。大学在学中に作曲家としてデビュー。「日本レコード大賞作曲賞」「日本歌謡大賞」などを受賞。世に出したヒット曲数は1000曲を超え、レコード売上枚数は4千万枚を超える。2021年4月に第23代文化庁長官に就任。