連載・武藤芳照の面白ゼミナール第2回「ユー・アー・レフト」
最近は、鉄道やバス・地下鉄などを利用する時には、「スイカ」「パスモ」などの交通系電子マネー・カードを用いることが多くなった。全国共通となり、「ICOKA」や「KITAKA」など地域性を表わす名称のカードがあるのも楽しい思いだ。
そのカードをタッチする駅の自動改札機を見ると、基本的に右手利き用だ。左手利きの人は、改札の度に使いにくそうに左手を右側にクロスさせてタッチして改札せざるを得ない。
これに限らず、カメラのシャッターの位置、パソコンのマウス、公衆電話の受話器の位置、ハサミ、包丁など、日常生活で用いる各種機器、用具は、右手利きを前提に作られている。
少年野球のグローブも、当然右手利き用の左手にはめるものが一般で、左手利きの野球少年は、製品が少ない分だけ値段のやや高めの右手にはめるグローブを使うことになる。
「あなたは正しい」とする英語は、「ユー・アー・ライト」だ。なぜ、「ユー・アー・レフト」ではないのだろう。英単語rightの意味は、「まっすぐ行く、まっすぐ、正義にかなって、正常な、右の、そして正しい」とされている。一方、left は、「左の」以外には、「一風変わった、あいまいな、いんちきの」などと、否定的な意味が込められている。これは英語に限らず、フランス語、ドイツ語など、いずれもが「左」を意味する単語は、「邪悪さ、不正さ、不器用」などの否定的な意味を持つ。
そもそも右手利きが多いのは、ヒトの脳が右脳と左脳で機能が異なり、からだの右側を司さどる左脳の方が言語機能の点で優位ということによる。これはヒトのからだのひとつの特性だ。
過去五千年間の芸術作品から推定した右利きの割合を調べた研究結果によれば、すべての時代を通して、右利きは90%と一貫している。つまり右利きは、時代や文化を超え、人類共通の特性で、常に右利きが優位なのだ。一方、左利きの人が世界の各地に一割はいる。しかし、歴史の中で左利きの人は、「一風変わっている」とか、「おかしい」とされ、あざけられ、虐待された時代がある。今でも左利きの子どもに対して、右手で書くように強制(矯正ではない)する親や教師もいるようだ。それは、なぜかと言えば、右利きが正しくて、左は「ぎっちょ」と呼ばれるように、いみ嫌われてきた歴史があるからだろう。
アンデルセン童話の『みにくいアヒルの子』に代表されるように、身体や疾病に関わる事柄を理由として、不当な偏見が生まれ、差別が行われ続けてきた。「右利き」への強制と「左利き」の弾圧は、その最も身近な例だろう。
元々左手利きの人は、右手利きの人以上に、非言語的観念、空間認知、色彩感覚、音楽等で優れた才能を発揮する。ジュリアス・シーザー、レオナルド・ダヴィンチ、ポール・マッカートニー、バイオリニスト千住 真理子さんも左利きだ。彼らの才能は、空間認知と音感、直観力の点で優位な右脳の特性に関係しているのかもしれない。スポーツの世界でも、サウスポーは貴重な戦力だ。それはスポーツ選手の技や力が、多くの右利きの選手を相手に積み上げられているからだ。
からだの大きい子どももいれば、小さい子どももいる。右手利きの子どもが多いけれども、10人に1人は左手利きの子どもがいる。それは、運動器に関わるからだの理(ことわり)そのものであり、そのことをごく自然に受けとめて、お互いが理解し協力し合う姿勢が大切だ。
●プロフィール
武藤芳照(むとうよしてる)
東京大学名誉教授
昭和25(1950)年愛知県大府市生まれ。愛知県立刈谷高校卒業。昭和50(1975)年名古屋大学医学部卒業後、東京厚生年金病院整形外科医長を経て、昭和56(1981)年より東京大学教育学部助教授、平成5(1993)年同教授、平成7(1995)年同大学院教授、平成20(2008)年同大学院教育学研究科副研究科長、平成21(2009)年4月より同研究科長・学部長。平成23(2011)年4月より東京大学理事・副学長・東京大学政策ビジョン研究センター教授。平成25(2013)年4月より日体大総合研究所所長、平成26年(2014年)4月 日本体育大学保健医療学部教授を経て平成28(2016)年4月より日本体育大学特別招聘教授。平成30年(2018年)4月より現職。東京大学名誉教授。